生まれ育った場所
2009年 07月 22日
父の三回忌は亀嵩の菩提寺で無事に終わり、亀嵩温泉に泊まった翌日、
出雲市の私が生まれ育った所に行きました。
私が生まれた家は父が生きているうちに処分してしまい今はありません。
それでも見覚えのある路地はそのままで、歩いて行くと高瀬川に出ます。
斐伊川から引かれたこの川は、私が子供の頃にはタニシがたくさんいました。
夏には川遊びを楽しんだものです。松の木は当時のもの。橋は昔は木の橋でした。
道路の向こうには「出雲 藍染」の長田藍染店。
婚礼の時には家紋を入れた祝いの藍染めの風呂敷を持って嫁入りしたようです。
隣の樋野陶器店も長田染工場も、私が生まれた時からありました。
石の階段を降り、川の中の棒に染め上がった藍染めの布を引っ掛けて洗うのです。
なくなってしまったお店もたくさんありますし、道路も広がり、建物も増えましたが、
この町は変わらないものの方が多いように感じます。
東京へ出て以来山陰線を何度往復した事でしょうか。
出雲に帰る時はいつも心がワクワクしたのを憶えています。
そして、斐伊川の鉄橋を渡ると、「ただいま」と心の中で言いました。
やっぱり、故郷はいいもんです。また帰ります。
出雲市の私が生まれ育った所に行きました。
私が生まれた家は父が生きているうちに処分してしまい今はありません。
それでも見覚えのある路地はそのままで、歩いて行くと高瀬川に出ます。
斐伊川から引かれたこの川は、私が子供の頃にはタニシがたくさんいました。
夏には川遊びを楽しんだものです。松の木は当時のもの。橋は昔は木の橋でした。
道路の向こうには「出雲 藍染」の長田藍染店。
婚礼の時には家紋を入れた祝いの藍染めの風呂敷を持って嫁入りしたようです。
隣の樋野陶器店も長田染工場も、私が生まれた時からありました。
石の階段を降り、川の中の棒に染め上がった藍染めの布を引っ掛けて洗うのです。
なくなってしまったお店もたくさんありますし、道路も広がり、建物も増えましたが、
この町は変わらないものの方が多いように感じます。
東京へ出て以来山陰線を何度往復した事でしょうか。
出雲に帰る時はいつも心がワクワクしたのを憶えています。
そして、斐伊川の鉄橋を渡ると、「ただいま」と心の中で言いました。
やっぱり、故郷はいいもんです。また帰ります。
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shinn-lily at 2009-07-22 23:25
趣のあるところですね。
ただの田舎ではなくやはり出雲大社に集まる神様のお力かしら。
ぜひ、この目で見てみたいです。
ただの田舎ではなくやはり出雲大社に集まる神様のお力かしら。
ぜひ、この目で見てみたいです。
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hanababa
at 2009-07-23 15:42
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hanamamann at 2009-07-23 17:14
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hanamamann at 2009-07-23 17:16
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yumiyane at 2009-07-23 23:44
裏の松がこんなに大きくなっていたのですね。
高瀬川沿いはとても風情があるので、この町並みを生かして、もう少し町が賑やかになることを願っています。
高瀬川沿いはとても風情があるので、この町並みを生かして、もう少し町が賑やかになることを願っています。
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hanamamann at 2009-07-29 09:51
yumiさん この町はもう賑やかになることはないのでは・・・・。
だからと言ってこの町の人たちは都会の人間よりずっと豊かに暮らしていると思うけど。
だからと言ってこの町の人たちは都会の人間よりずっと豊かに暮らしていると思うけど。
by hanamamann
| 2009-07-22 22:09
| 思い出
|
Comments(6)