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一日一枚の幸せを花ちゃんと


by hanamamann
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母と義母

7月26日は義母の18回目の命日でした。
秋田の豪農の長女として、何不自由なく育ち、同じく秋田の農家の長男と結婚。
18年の間に3男1女を生み、新潟大学、秋田大学の学長となった義父に仕えました。
朝から晩まで、いつも台所にいて何かを作っていました。
夫の料理好きは義母のDNAを受け継いだ事は間違いありません。
私達が新潟に行けば、毎日美味しいものを食べさせてくれ、東京に帰るときは、
朝からお弁当を作り、持たせてくれたものです。

私達が結婚する時、母同士と、私達と4人で銀座の資生堂パーラーで会いました。
母は「あのお母さんに育てられた人なら」と安心したように言いました。
母と義母_f0161834_2223526.jpg

1970年頃の学生紛争真っ盛りの頃、秋田大学学長だった父は心労から入院しました。
その後新潟で亡くなるまでの数年、義母は毎日三食を病院の義父の元に
運び続けたのです。         義父が亡くなった翌年、
娘の七五三のお祝いを出雲でした時に、新潟から来てくれました。
母はもう認知症が始まっていました。 大切な写真です。
Commented by yumiyane at 2008-07-29 00:07
新潟のお母さんのお料理はほんとうにおいしかったですね。
あんなに細いきんぴらごぼうをいただいたのは初めてでした。
平常心で、おいしく食べさそう!って思って調理なさったのでしょうね。
母はあまり料理は得意ではなかった、という説もありますが、私はどれもおいしかったと思います。あのころは食べ物を残すなんてこと無かったからね。母も励まされてたんじゃないかな。
Commented by hanamamann at 2008-07-29 10:22
人間の味覚は3歳までに養われるような気がします。
子供用のご飯とか作ってもらった記憶がない代わりに、
母の味はしっかりと脳に刻まれていると思います。
子供たちも、そうだと思いますよ。だから、皆料理好きだよね?
Commented by shinn-lily at 2008-07-29 10:49
短い文章の中に二人のお母さま対する想いがいっぱいつまっていますね。
女性がどう生きていくか、ある意味では自由な選択ができる今、問われている感があります。
けれども本当はいつの時代にも心に残る女性の生き方があるのですね。
Commented by hanamamann at 2008-07-29 21:20
shinn-lilyさん
義母の人生は妻として、母親としては、完璧だったと思いますが、
折にふれ義母が語った言葉は、女性としてどうだったのか。
もっと色々話したかったなぁ・・・と思います。
なくなる前10年は、言葉を失い、筆談だけの会話になってしまいました。
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by hanamamann | 2008-07-28 22:49 | 家族 | Comments(4)