一日一枚の幸せを花ちゃんと


by hanamamann
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高校時代

12歳で東京に出てきて2年が過ぎた頃、教わっていた先生から言われた言葉が
「〇〇大学へ」。その先生は××大学の先生でしたが、
私には〇〇大学の方が向いている・・と。
きっと家にはお金が無いと見抜かれていたのでしょう。性格的にも向いていないと。
わけも分からず先生の言うとおりに、付属の高校を受験しました。
当時は、学科試験がなくて実技試験だけ。今ならまさか・・・の事ですが、
実際に私はそうでした。ヴァイオリン、ピアノ、聴音(音を聞いて楽譜にする)
後は、親子の面接がありました。私は父と一緒でした。
1学年36人(40人定員)ヴァイオリンは10人、半分が地方からの子供でした。
高校は御茶ノ水にあり、大学から先生がいらしてレッスンや学科の授業がありました。
お茶の水は当時、明大、中央大、文化学院、池の坊、医科歯科大・・・。
学生の町でした。ちょっとおしゃれで大人の雰囲気があり、近くには「山の上ホテル」
アカンサスの並木が美しい町で楽しい楽しい3年間を過しました。
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学校は全校生徒120人足らずで、昔は病院だったと言う古い石造りの建物で、
玄関を入った所に裏表に赤と黒で名前が書いてある札が下がっています。
登校すれば黒に下校する時は赤にします。
親の言うままに東京に出て、先生の言われるままに高校を受験し、運よく入学した私は、
これで親の夢は叶えた・・・・と、これからは自分の好きにします。。。と、
三年間を殆ど遊んで過しました。
地方から来た子同士で泊まりに行ったり来たり、東京の子供の家にお邪魔して、
お母さんが料理を作ってくださり、家庭の味を楽しんだり、男子とも普通に話しをして遊んで、
練習してまた遊んで。今でも高校時代の友達は、〇男君、〇子ちゃんです。
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Commented by yumiyane at 2008-09-11 14:24
××大学の先生が〇〇大学を進めるのは当然、ははは。
そんな面接があったとは知りませんでした。
国立の高校は専門でも授業料が安かったのですか。
当時のお茶の水は、田舎者の私にとってはあこがれの町です、上野もね。
髪はいつ切ったのですか?
Commented by shinn-lily at 2008-09-11 18:11
昔の学校はなにか暖かさがありましたね。
私は牛込の生まれなので、あのあたりはとても懐かしいです。よく父の車でそのあたりをとおりました。
読みながら、一緒に思い出にふけっていました。
Commented by hanamamann at 2008-09-13 17:21
yumiさん 試験は3次くらいまであって、面接で落とされることはなかったと思います。学校の前に日仏会館があって、会館の前の陽だまりで親が試験が終わるのをまっていました。
1月の半ばの試験でしたからね。
髪はたぶん中2の夏だったように覚えています。
Commented by hanamamann at 2008-09-13 17:26
shinn-lilyさん お茶の水は雰囲気のある町で、「レモン」という喫茶店が、画材やさんのあるビルの上にあり、時々行くと、ちょっと変わった人たちがいてワクワクした事、「田園」だか「ウイーン」か名曲喫茶があって薄暗い中で紅茶飲んでドキドキしたり、
山の上ホテルで、高校の先生に紅茶とプリンをご馳走になり、
私だけかと思ったら結構色んな女の子がご馳走になったのを聞いて「なーんだ」とガッカリしたり、本当に楽しい高校生活でした。
by hanamamann | 2008-09-10 22:34 | 音楽 | Comments(4)