一日一枚の幸せを花ちゃんと


by hanamamann
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カテゴリ:思い出( 10 )

別れ

8月20日に84歳で天国に召された、亡夫の兄の四十九日法要と納骨に参列する為、
新潟県燕三条に行ってきました。
義兄は14歳歳の離れた弟を可愛がってくれたそうです。
小さい頃からやんちゃで遊んでばかりいた弟を、自身が愛されていた音楽の道に、
導いて下さり、東京に一緒に来て先生を見つけたりしてくれたそうです。
自身はフルートを演奏することが楽しみだったようですが、私が出会ったころは、
仕事(医師」)が忙しかったのでしょう。一度も聞くことが出来ませんでした。
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私たちが結婚する時も、親の代わりのように面倒を見ていただきました。
子供が生まれ、年2回の帰省の時には自分の財布の中から四つ折りにした一万円札を、
誰にもわからないように手渡してくださり、「美味しいものでも食べなさい」。。。
長い間、本当にお世話になりました。お義兄さんが逝かれて淋しいです。
夫が亡くなった時、頼りにしていた弟に先立たれるとは・・・と、悲しまれ、
夫の演奏したCDを記念に渡しましたが、長い間聞けなかったそうです。
五月に病気が見つかり、周りは治療することを望んだけれど、あるがままでいいと・・・
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夫の両親が眠るお墓に入られ、後は夫と共に天国でゴルフをしたり、お酒を飲んだり、
楽しく過ごしていると思っています。
帰りの新幹線を待つ間、山々に、空に、「ありがとうございました」を何度も言い、
長い間通った思い出いっぱいの越後平野に別れを告げました。
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by hanamamann | 2013-10-08 10:25 | 思い出 | Comments(4)

こんな日に・・・

13人の大家族で生活していたので、いつも周りには誰かがいるのが当たり前。
5人兄弟ともなれば、母を一人占めすることなど到底できないことで。
私は父の叔母に育てられた「おばあちゃん子」だったけど。
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何かの折に、私だけが学校を休んで家にいた平日の午前。
家の裏庭はしーんと静かで、母とおばあちゃんが洗濯物を干したり、
庭の草むしりをしたり、漬物小屋の掃除をしたり。
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母のそばで私はきっと嬉しかったんだろうな。
いま、カーテンの向こうの庭にそそぐ陽の光を見て、
ふと50年以上も前の日差しと一緒に、のどかな、静かな光景を思い出した。
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母と一緒に過ごした時間は短かったけれど、私の原点は母。
未だに及びもつかないけれど。。。
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by hanamamann | 2011-06-06 11:39 | 思い出 | Comments(2)

好きです

先週の金曜日。玄関先に何か色を・・と思って苗木を買いに行ったとき。
「カーネーションは土曜日に入りますよ」・・に、
あぁ。。「母の日」か。「私、貰う方なんです」といった後、
なんだかとても寂しくなりました。あげる人がいないんだ。
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同じ日の夜、息子夫婦が「母の日」に・・と、夏のスリッパを。
土曜日には娘夫婦が「母の日」だから・・と、アジサイの鉢植えを。
ほかにもカーネーションが届きました。たくさんのカーネーションに、
皆の気持ちがありがたく、あげる人はいないけれど、
贈る人の気持ちに、私の気持ちを託したくなりました。
娘も息子も私の好きなものをよく知っています。
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連休に行った八王子の道の駅で買った金時豆を煮ました。
小さい頃から豆好きで、「だからあんたはマメなんだ」とよく言われました。
中学校入学と同時に親元を離れ、東京に出て初めての夏休み。
出雲に帰った私に母が作ってくれていた「うずら豆の煮物」を、
母を思う度に今でも思いだします。大好きです。
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13人もの大家族の食事、洗濯、老人の介護、父の一番の助手の看護婦を務め、
私たちに恩返しもさせないで逝ってしまった母。大好きです。
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by hanamamann | 2011-05-10 11:14 | 思い出 | Comments(6)

春休み

学生の頃は、春休みが一番好きでした。成績はどうであれ宿題もなく、
新しい学年の期待もあり、また春の季節感も、気持ちを膨らませてくれて。
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あれは、私が大学生になって初めての春休みだったと記憶しています。
出雲で春休みを過ごし帰って来た3月の終わり頃。
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友達と二人で、その頃私たちの間では憧れだった喫茶店「風月堂」に行きました。
ここは、音楽家、美術家、俳優・・・のたまごの人たちの溜まり場という評判でした。
今日のような南風が吹く暖かな日、喫茶店の中はタバコの煙でかすんで見えました。
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グレーのプリンセスラインのオーバーコート。
白いアンゴラの半そでセーター。色は忘れましたがタイとスカート。
精一杯おしゃれをして、大人の雰囲気を味わおうと背伸びをして出かけたのです。
決して居心地が良かったわけではないけど、紫の煙が漂う中でコーヒーを飲みました。
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南風の吹く公園で、小さな花たちを見つけながら、春を感じて歩きながら、
ふと、40年も昔の春を思い出しました。
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by hanamamann | 2010-03-13 15:03 | 思い出 | Comments(0)

久しぶりでした

同じ年に、産声を上げ、6歳の年に小学一年生になり、12歳で卒業。
あれから、50年!!の歳月が過ぎてしまいましたね。
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故郷を遠く離れて、それぞれが平坦ではなかった時間を過ごしながら、
健康で再会できたことを、嬉しく思いました。
小学生だった頃の記憶を辿りながら、それからの気の遠くなるような時を生きてきた自分を、
誉めてやりたくなりました。
戦後まもなくの、何もかも不自由な、質素で波乱多い日々であったはずなのに、
あの頃の話をするときの皆の生き生きと、楽しそうな表情が印象的でした。
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by hanamamann | 2010-03-07 19:32 | 思い出 | Comments(4)

最後の夜

三年前の今日、主人と過した最後の夜。
朝から機嫌が悪く、もう長くない事は感じてはいましたが、
息子夫婦が来てくれたので、買い物をするため病院を抜け出しました。
小一時間ほどで帰ってきましたがその間「ママは?」としきりと言っていたそうです。
私が帰ると安心したように眠りました。
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主人の寝息を聞きながら、真っ暗な窓の外を見ていると、明日を、明後日を考える事が
恐ろしいような心細いような気持ちになりましたが、
それでも、まさか最後の夜になるとは思ってもいませんでした。
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三年経った今日、子供達夫婦、妹、甥家族、子供達のパートナーのご両親と、
主人の大好きだった銀座に集まりお食事会をしました。
中華料理の大皿を囲みながら、あちこちで話が弾み、楽しいひと時を過しました。

そして、三年の間、私を見守り続けて下さった事に、心から感謝すると共に、
この輪の中心には主人がいるのだということを、強く感じた夜でした。
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by hanamamann | 2009-10-12 22:58 | 思い出 | Comments(2)

生まれ育った場所

父の三回忌は亀嵩の菩提寺で無事に終わり、亀嵩温泉に泊まった翌日、
出雲市の私が生まれ育った所に行きました。
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私が生まれた家は父が生きているうちに処分してしまい今はありません。
それでも見覚えのある路地はそのままで、歩いて行くと高瀬川に出ます。
斐伊川から引かれたこの川は、私が子供の頃にはタニシがたくさんいました。
夏には川遊びを楽しんだものです。松の木は当時のもの。橋は昔は木の橋でした。
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道路の向こうには「出雲 藍染」の長田藍染店。
婚礼の時には家紋を入れた祝いの藍染めの風呂敷を持って嫁入りしたようです。
隣の樋野陶器店も長田染工場も、私が生まれた時からありました。
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石の階段を降り、川の中の棒に染め上がった藍染めの布を引っ掛けて洗うのです。
なくなってしまったお店もたくさんありますし、道路も広がり、建物も増えましたが、
この町は変わらないものの方が多いように感じます。
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東京へ出て以来山陰線を何度往復した事でしょうか。
出雲に帰る時はいつも心がワクワクしたのを憶えています。
そして、斐伊川の鉄橋を渡ると、「ただいま」と心の中で言いました。
やっぱり、故郷はいいもんです。また帰ります。
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by hanamamann | 2009-07-22 22:09 | 思い出 | Comments(6)

母からの・・・

5月21日母の27回目の命日でした。
朝7時、雲の切れ目から太陽の光が細く差した時でした。
母はあの雲の中に入って行くのだろうか、あの光に向かっていくのだろか・・・と。
そう思って病院の窓から見た光景は忘れません。
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1971年に姉妹の仲で一番早く結婚した私に、母が選んでくれた留袖。
24歳の娘の留袖にしては地味な気もしましたが、
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扇の模様の中の刺繍が可愛らしいこの留袖を、気に入っていました。
この春、仕立て直しをして娘に譲りました。
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たとう紙の表に付けてある札はちっとも傷んでいません。
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母が亡くなった後、姉妹で母の残した着物を整理しました。
好きなものを・・・と言われ選んだ一枚です。
母は贅沢をしない人でしたし、着る物は殆ど自分で作っていました。
5人の子供を育て、父の仕事を手伝っていましたので、
着物姿の母を見ることは、お正月くらいでした。
このアザミの模様の紗の着物は気に入っていたようでした。

母からはたくさんの愛情と、気質と、教えを貰いました。
どんな言葉でも尽くせないほどの感謝の気持ちです。
あの母に育てられたから、私は色んな困難も乗り越えられたと思っています。
未だ、母の足元にも及ばない私ですが、子供達の中に母を見るときがあります。
母から受け継いだものを、娘、息子が繋いでくれると信じています。
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by hanamamann | 2009-05-25 23:35 | 思い出 | Comments(5)

新潟 古里

島根県の出雲で12歳まで育ち、東京に出てきて12年たった24歳の時、
縁あって新潟が第二のふるさとになりました。
初めて新潟に行った頃は、関越自動車道はなくて、三国峠のカーブを幾つも曲がり、
越後平野の真ん中を車を走らせました。
携帯電話ももちろんなくて、公衆電話から「今〇〇」と夫の家に電話をかけながら
9時間ほどもかかって新潟に行っていました。
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今は練馬の自宅から3時間半で到着です。

義母はお料理が好きで、一日中台所にいるような人でした。
家族が四人になり、夏休みは必ず一週間ほど滞在して、義母と話しをしながら、
台所で夫の好きな料理を教わったり、市場に買い物に行ったりしました。
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このカニは寺泊で売っていた紅ズワイ蟹ですが、義母が私達に食べさせてくれたのは、
イッパイ幾らするのかわからないほどの立派なズワイガニでした。
子供達は今でもカニの味には少々うるさいです。

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これは弥彦温泉の旅館にあったアケビです。
作り物かと思うほどの色合いですが、本物です。

新潟は海に面し、豊かな平野では美味しいお米が採れ、山に行けば豊富な山の幸が捕れ
信濃川がとうとうと流れる穏やかなところです。
私の育った出雲と新潟はよく似ています。
夫と結婚して35年。いなくなった人の古里はいつの間にか私のふるさとになりました。
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by hanamamann | 2008-10-15 21:37 | 思い出 | Comments(5)

再び 京都へ

九月とは思えないほどの寒い朝、夫の三回忌法要のため京都に向かいました。
二年前、義兄にお願いして夫を送り、四十九日法要、翌年の初盆法要、
その後すぐに父が亡くなり、葬儀、夫の一周忌と父の四十九日、
今年になって父の一周忌、大文字の送り火、そして夫の三回忌。
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若い僧侶の張りのある声の読経を聞きながら、過ぎた2年を思いました。
何度も通った京都でしたが、これで暫くは京都ともお別れです。
お世話になった義兄家族には感謝の気持ちでいっぱいです。

お寺の近くにある 大黒屋さんの「御鎌餅」
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稲を刈る時の鎌の形に似ていて、豊作を願い福を刈りいれることを願っての形だそうです。
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もち米に砂糖を入れて作られた皮の中に、こし餡がたっぷり入っています。
経木に一つづつ丁寧に包まれた、本当に美味しいお菓子です。

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朝九時十分の新幹線で東京駅を発ち、夜七時前に東京駅に着いていました。
車窓の景色はすっかり秋。田んぼの稲刈りも殆ど終わり、
畦道にさく彼岸花の朱色を見ながら、京都に別れを告げました。 
でも、また行きます。今度は遊びに・・・・。
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by hanamamann | 2008-09-30 21:50 | 思い出 | Comments(4)